[自作小説] 森の秘密と二人の少女「緑籠館の晩餐」(9) | Isanan の駄文ブログ

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 臨月を間もなくに控えたシャリーンの母は、近隣の集落にたまたま名医が逗留している
とのことで、伴を連れてその地を訪れていた。診察は問題なく済み、ナメアカ庄へ引き返
そうとしたのだが、そこで天候不順のせいで思わぬ長居を強いられることになった。

 そのまま出産の時までその地に留まることも考えられたが、件の名医はすでに他の土地
へと去っており、やはり住み慣れた緑篭館へ戻るのが最善と思われた。彼女の体調にも変
化は見られず、一行は天候が充分に回復したときを見計らって、ナメアカ庄に向け出発し
た。

 当初は順調に進むことができた。しかしまた徐々に空模様が怪しくなり出していた。一
行は可能な限り歩を速めたが、風は強まり、小雨が降り始めた。そして逆側から来た者か
ら、最近の悪天候により、この先の道の状態がかなり悪いとの情報がもたらされた。

 そこで一行が取った選択は、『生きとしの森』を抜けることだった。人里に出るには、
元の集落に戻るより、それが最短の径路となるはずだった。本来なら、そうすれば日が沈
む前にはナメアカ庄に着ける予定だった。

 伴の一人は森に入らずそのまま先へ行くこととなった。ナメアカ庄側から迎えが来る手
はずだったので、変更を伝え入れ違いを防ぐためだった。その迎えを呼ぶために先に発っ
ていた者や、急な体調不良で来られなかった者があり、シャリーンの母に付き従う伴はあ
と一人しかいなかった。その二人だけで森に入った。

 森に入ってからも、天候はますます悪くなった。普段でも暗い森の中は、いっそうその
影を濃くしていた。しかし付き従った伴は何度かこの森を抜けて集落間を行き来していた
ので、進む方向を間違えない自信はあった。にもかかわらず、彼等はいつの間にか森の中
で自分達の位置を見失ってしまっていた。それはまるで、森自身が突如巨大な迷宮とでも
化したかのようであった。

 風雨は強まり、いよいよ本格的な嵐となり始めていた。先を急ぐしかなかったが、見慣
れぬ風景のなか、いくら進んでもまた元の場所に戻されるようで、森が彼等を閉じ込めて
いるかにすら思えた。そのとき、シャリーンの母に異変が起こった。陣痛が始まったのだ。

 すでにもう夕刻押し迫ろうとしていた。止む無く、シャリーンの母を大木のうろに避難
させ、そこに置き去りにして伴は一人で里に向かった。少なくとも、元来た道にはすぐに
戻れる方へと進んでいるはずだった。嵐の吹き荒れ真っ暗な森の中を、危険を顧みず彼は
全力で進み続けた。だがそれでも、彼が疲労困憊ながらようやくナメアカ庄にたどり着い
たそのときには、もう夜が明けようとするほどに時間が経ってしまっていた。

 ナメアカ庄では、まず迎えに出た者達から予定の時間までには会えていないとの報せが
あり、さらに夜になってシャリーンの母と別れた使いから、すでに森を抜けて里に着いて
いるはずとの連絡がもたらされて、里中が大騒ぎとなっていた。そこに森を抜けてこの伴
が到着し、シャリーンの母が一人で森に残され、しかももう陣痛が始まっていることが伝
えられると、直ちに領主タボンを先頭にした大捜索隊が結成された。

 嵐はいまだにやんでいなかったが、一行は森に入り、懸命の捜索が始まった。だが、里
とシャリーンの母達が森に入った地点との間を隈なく探しても、彼女を見つけることはで
きなかった。二次遭難の可能性もあって闇雲に範囲も広げられず、手がかりもつかめない
まま、また日の落ちる時になろうとしてた。捜索活動も限界に近付いていたが、必死なタ
ボンの姿を見ると、誰も撤収を言い出せずにいた。

 その頃になってようやく、嵐が治まり出した。そして捜索隊の一人が、静寂を取り戻し
始めた森の奥深くから、風に乗って響く赤子の泣き声を耳にした。彼等はそれを頼りに、
その聞こえる方へと向かって進んだ。

 そこで彼等が目にしたのは、巨木のうろの中で、泣きじゃくる生まれたばかりの赤ん坊
と、それを抱くシャリーンの母親の姿だった。だが彼女は、――その胸に赤ん坊を抱き締
めたまま――、すでに事切れ、もう冷たくなっていた。



(続く)